令和5年度の講演会を開催しました
令和5年度の講演会を清水安三先生の生誕地である滋賀県高島市新旭町で開催しました。講師は広島女学院大学学長(前桜美林大学学長) 三谷高康先生です。演題は「清水安三先生と私」

会場の新旭公民館には、高島市内外より多くのご参加をいただくことができました。三谷先生は前桜美林大学学長で、ご自分では「断われず神の思し召しだと思い、学長を引き受けたのです」とおっしゃっておられたのですが、安三先生とも「プロビデンス(運命的な出会い)」があったのでしょう。三谷先生の紹介は芹野与幸先生がされました。三谷先生の奥様は同志社大学の名誉教授オーティス・ケーリの孫娘のアン・ケーリだと話され、会場に暖かい空気と少しざわめきがおこりました。
三谷先生の講演は新島襄や同志社での安三先生のエピソードなどが話されました。旧制膳所中学校でウィリアム・メレル・ヴォーリスと出会い、キリスト教と出会い、洗礼を受けたこと。洗礼をきっかけに新島襄が設立した同志社大学に進学し、宣教師として中国に行き、安三先生は「北京の聖者」と言われるまでの活躍をされたこと。崇貞学園の運営資金を得るために安三先生が同志社大学講師として、働きながら子どもたちの作った手芸品を販売していたことは多くの方々が知るところですが、それがゆえに同志社大学講師を解雇されたことも。すべてが子どもたちの為であり、教育の為と、信念をもって行動されていた安三先生の思いが、同志社大 学のその当時の人々に通じていなかったことは大変残念なことです。
しかし、その後、四十年もたってから、清水安三先生が同志社大学から名誉神学博士号を授与されていたことを、今回三谷先生のお話で知り大変驚きました。安三先生はどんな思いで解雇された同志社大学の門をくぐられ、授与式に臨まれたのでしょう。解雇された時は今後の資金調達に大変悩まれたはずであり、理解してくれなかった同志社大学を良く思えなかったでしょう。しかし、中国北京の貧困層と、焼け野原となった日本東京で、教育の種をまき、大きな花を咲かせた安三先生の生き方に称賛をおくる声も大きかったのでしょう。
教育者:清水安三先生と他に、パナソニック創業者の松下幸之助氏や水上生活者支援の中村遥氏、ハンセン病看護に生涯をささげた井深八重氏とともに撮られた写真が映しだされた時は、とても誇らしい気持ちになりました。その授与式の場を直接ご覧になった三谷先生は大いにプロビデンスを感じられたのではないでしょうか。
この高島市新旭町北畑から、熱い情熱と信念を持ち、多くの人のために尽くされた偉大な教育者の、寛大で何事も受け入れ、歩まれた清水安三先生の生き方を改めて知る講演会でした。
※京都新聞掲載記事を添付させていただきますので、リンクボタンからご覧ください。